ラベル 異端 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 異端 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

0020-04-03

神様の教会安商洪様<秋收感謝祭 3>하나님의백성은 하나님의 절기를 지킨다. 성경과관련없는 추수감사절!!

「サンクスギビング・デ-」は英語Thanks giving dayの訳語で毎年 11月に大部分のプロテスタントで守る日です。しかし聖書どおり行う神様の教会では「サンクスギビング・デ-」を守らず安商洪様が教えられた聖書の祭りだけを守ります。
韓国プロテスタントの大部分がアメリカ・プロテスタントによって開拓されたので、アメリカプロテスタントの影響をたくさん受けたのは皆が認める事実です。清教徒たちがメイフラワー号に乗ってイギリスから去って新大陸(アメリカ大陸)に到着し、農業をして神様に感謝する祭りを行った事実に起因して、祝祭日として決めた人はアメリカの初代大統領ワシントンでした。とにかく Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)はアメリカの国家的な祝祭日であり、宗教的な祝祭日ではありません。アメリカでは最大の祭り中の一つがサンクスギビング・デ-であり、この時期にアメリカのすべての職場は長期間の休みに入ります。
Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)をアメリカ人たちが祝祭日と決めて楽しく遊ぶことは私たちの関与するところではないと思います。しかしその日がまるで神様が制定された掟のように教えることに対しては問題を申し立てざるを得ません。その上に、この日を神様の掟である初穗祭(新約の復活祭)や仮庵祭から由来されたと教える行いは実に神様に対する冒涜だと言わざるを得ません。神様はThanks giving day(サンクスギビング・デ-)を守りなさいと命じられたことは決してなかったからです。
神様の教会では再臨キリスト安商洪様が守りなさいと命じられた祭り、すなわち聖書に記録された祭りを守っています。



神様の民は神様の祭りを守る。



今まで見たように、旧約の初穗祭や仮庵祭は、新約時代にキリストが成す復活祭と天の神殿材料である 十四万四千人聖徒たちを集めることをあらかじめ見せて下さった

ものです。それなのにアメリカで作られたサンクスギビング・デ-を守りながら旧約時代の初穗祭や仮庵祭を引用するということはクリスチャンとしては到底納得できないことです。


旧約の初穗祭が新約時代に復活祭に変更されてキリストの復活を記念し、同時に最後の日、聖徒たちの復活と変化に対する神様の約束を吟味する日です。そして旧約の仮庵祭が新約時代には、7日間の宣教大会に変更されて救いを得る神殿材料(聖徒)を探す宣教行事になりました。


Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)はアメリカの祝祭日ですが、キリスト教の祭りではありません。これは確かに人によって作られた人の掟です。昔イスラエルのヤロブアム王は民がエルサレムに祭りを守りに行くことを阻むために金の子牛を作って「これがあなたを エジプト から 導いたあなたの神である。」と 言ってまた8月15日を祭りとして決めてユダの祭りに似せて守ったが、これが神様に罪を犯したと聖書は記録している。(列上 12:25~33) キリストもこのような者について次のように言われました。


マル 7: 6∼8  『イエスは言われた。「イザヤ は、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう 書いている。「この民は口先ではわたしを 敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ。/むなしくわたしをあがめている。」あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く 守っている。』


初穗祭のまことの意味と成就、そして仮庵祭のまことの意味と成就などを知らないまま無条件アーメン!を唱えて従って行く人々に会う時が一番もどかしいです。彼らにも神様の御恵みが臨んで神様の掟と法を正しく悟るように願うだけです。


聖書に「わが民は知ることを拒んだので沈黙させられる。お前が知識を退けたので/わたしもお前を退けて/もはや、わたしの祭司とはしない。お前が神の律法を忘れたので/わたしもお前の子らを忘れる。」(ホセ4:6)と記録された御言葉も神様の掟は無視して人の戒めに付く人々に賜れた教訓の御言葉です。


ヘブライ人への手紙に記録された「さて、最初の契約にも、礼拜の規定と地上の聖所とがありました。」(ヘブ9:1)この御言葉の裏面には「第二の契約(新しい契約)にも仕える礼法と天に属した聖所がある」と言う意味が内包されています。どちらがもっと重要でしょうか。もちろん新しい契約で神様に仕える礼法が重要だということは皆が認知する事実です。最初の契約の当時に地上の聖所で神様に仕える祭りと儀式は模型だったし、新約時代に天の聖所と繋がれた新しい契約の祭りを守ることが実際になりました。


神様に仕える新しい契約の礼法は神様の民だけが大事にすると信じます。多くの魂が人の戒めに従う行いから脱して神様に仕える新しい契約の礼法の中に帰って来るように祈ります。

神様の教会安商洪様<秋收感謝祭 2>사람의 계명 추수감사절

「サンクスギビング・デ-」は英語Thanks giving dayの訳語で毎年 11月に大部分のプロテスタントで守る日です。しかし聖書どおり行う神様の教会では「サンクスギビング・デ-」を守らず安商洪様が教えられた聖書の祭りだけを守ります。
韓国プロテスタントの大部分がアメリカ・プロテスタントによって開拓されたので、アメリカプロテスタントの影響をたくさん受けたのは皆が認める事実です。清教徒たちがメイフラワー号に乗ってイギリスから去って新大陸(アメリカ大陸)に到着し、農業をして神様に感謝する祭りを行った事実に起因して、祝祭日として決めた人はアメリカの初代大統領ワシントンでした。とにかく Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)はアメリカの国家的な祝祭日であり、宗教的な祝祭日ではありません。アメリカでは最大の祭り中の一つがサンクスギビング・デ-であり、この時期にアメリカのすべての職場は長期間の休みに入ります。
Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)をアメリカ人たちが祝祭日と決めて楽しく遊ぶことは私たちの関与するところではないと思います。しかしその日がまるで神様が制定された掟のように教えることに対しては問題を申し立てざるを得ません。その上に、この日を神様の掟である初穗祭(新約の復活祭)や仮庵祭から由来されたと教える行いは実に神様に対する冒涜だと言わざるを得ません。神様はThanks giving day(サンクスギビング・デ-)を守りなさいと命じられたことは決してなかったからです。
神様の教会では再臨キリスト安商洪様が守りなさいと命じられた祭り、すなわち聖書に記録された祭りを守っています。



仮庵祭とサンクスギビング・デ-の関連関係


旧約の仮庵祭と Thanks giving day (サンクスギビング・デ-)と関連がある祭りなのか研究して見ます。

旧約時代の仮庵祭はモ-セの時の広野で幕屋を作る材料を集めた事を記念するために制定されたことで聖暦 8月15日から 22日まで守りました。(陽暦では 9~10月頃)

モ-セはシナイ山で見た天の聖所をそのまま地に建てなさいという命令を民に伝達し、聖霊に満たされていた民はみずから進みでて金、銀、布など幕屋作る材料を差し上げて満ち溢れるほど豊かになったので、これ以上持って来なくても良いという公布をしました。(出 35:4~36: 7)神様は幕屋を作ったことを記念させるために仮庵祭を記念させましたが、この時に神殿の中庭と外庭に幕屋を作って一週間とても楽しく過ごしました。(レビ 23:34~36)

そしてこの時は(年終)秋の収穫を終える時期なので穀物をすべて取り入れる時期でした。それで仮庵祭を示して取り入れの祭りとも言いました(出 34:22)。

ヘブライ書の記者はモ-セがシナイ山で見て降って作った地の聖所は、イエス • キリストによって成し遂げる天の聖所の写しと影だと記録しました。

ヘブ 8: 5  『(地の聖所で)この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに 仕えており、そのことは、モ-セが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で 示された 型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。』

モ-セの時イスラエルの民たちが聖所材料を集めた歴史は新約時代天の神殿材料に表象された神様の民を集めることに対するしるしでした。

エフェ 2: 20∼21  『使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石は キリスト • イエス御自身であり、キリストにおいて、 この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。』

黙 3: 12  『勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう …』

旧約時代に草や木で編んで草幕(草や木で編んで作った家)を作っておいてそこで七日間過ごしながら喜び楽しんだ儀式や、モ-セを通じて一週間の間神殿材料を集めることで聖なる幕屋を完成させた過ぎし日の歴史は木に表象され(エレ5:14)神殿材料に表象され(エフェ 2:20~21)十四万四千人の聖徒が集まることで完成される地上福音事業に対する預言でした。それでキリストも仮庵祭には宣教する手本を見せてくださいました(ヨハ7:14、37)。

0020-04-01

神様の教会安商洪様<秋收感謝祭>추수감사절

「サンクスギビング・デ-」は英語Thanks giving dayの訳語で毎年 11月に大部分のプロテスタントで守る日です。しかし聖書どおり行う神様の教会では「サンクスギビング・デ-」を守らず安商洪様が教えられた聖書の祭りだけを守ります。
韓国プロテスタントの大部分がアメリカ・プロテスタントによって開拓されたので、アメリカプロテスタントの影響をたくさん受けたのは皆が認める事実です。清教徒たちがメイフラワー号に乗ってイギリスから去って新大陸(アメリカ大陸)に到着し、農業をして神様に感謝する祭りを行った事実に起因して、祝祭日として決めた人はアメリカの初代大統領ワシントンでした。とにかく Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)はアメリカの国家的な祝祭日であり、宗教的な祝祭日ではありません。アメリカでは最大の祭り中の一つがサンクスギビング・デ-であり、この時期にアメリカのすべての職場は長期間の休みに入ります。
Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)をアメリカ人たちが祝祭日と決めて楽しく遊ぶことは私たちの関与するところではないと思います。しかしその日がまるで神様が制定された掟のように教えることに対しては問題を申し立てざるを得ません。その上に、この日を神様の掟である初穗祭(新約の復活祭)や仮庵祭から由来されたと教える行いは実に神様に対する冒涜だと言わざるを得ません。神様はThanks giving day(サンクスギビング・デ-)を守りなさいと命じられたことは決してなかったからです。
神様の教会では再臨キリスト安商洪様が守りなさいと命じられた祭り、すなわち聖書に記録された祭りを守っています。



初穗祭とサンクスギビング・デ-の関連関係



先に旧約の初穗祭と Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)と関連があるのか研究して見ます。


神様はモ-セとイスラエルの民が出エジプトして紅海を渡って十戒を受けて幕屋材料を集めるまでの行績を記念させるために7つの祭りを決められ、これは将来キリストが御自分の民を罪悪の世から導かれて天の神殿材料を集めるまで起こる事をしるしとして見せてくださいました。


7つの祭りの中で三番目の祭りである初穗祭はモ-セがイスラエルの民を率いて紅海を渡ったことを記念して制定された祭りでした。毎年除酵祭後の初めの安息日の翌日(この時期はイスラエルの季節上春であり、麦と小麦の穂が熟する頃だった)に祭司が初穂の一段を振って祭祀を差し上げたが、これは将来死んだ者の中 から最初に復活するキリストを象徴しました。


レビ23:10∼14 『イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。わたしが与える土地に入って穀物を収穫したならば、あなたたちは初穂を祭司のもとに携えなさい祭司は、それを主に受け入れられるよう御前に差し出す。祭司は安息日の翌日にそれを差し出さねばならない。…この献げ物をあなたたちの神にささげるその日までは、あなたたちはパン、炒り麦、あるいはひき割り麦を食べてはならない。 これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである。』 


この初穗祭の実体は年初に穀物をおさめる時先に神様に奉納物(振って捧げる祭祀)として差し上げてから後に新穀を食べさせた祭りですが、これは将来キリストが死んだ者の中で一番先に(初穗として) 復活することに対するしるしでした。


一コリ 15:20∼24 『しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。 …ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初に キリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち…』


キリストが死者の中から初穗として復活されたのでたから、これは旧約の時、初穗祭の預言が成就したことで、旧約時代に除酵祭後の初めの安息日の翌日(日曜日)である初穗祭に祭祀を差し上げたことはキリストが除酵祭後の初めの安息日の翌日(日曜日)に復活することで成就しました。


マカ 16: 9  『イエスは週の初めの日の朝早く、復活して』


イエス・キリストの復活は、すでにモ-セ時代に制定された祭りの中で現されていたし、復活なさる日(安息後の初めの日)までもあらかじめ示されたなかったでしょうか。


新約時代である今日、私たちは旧約の初穗祭を記念しなければなりませんか。キリストの復活祭を記念しなければなりませんか。もし、Thanks giving day (サンクスギビング・デ-)を守りながら旧約の初穗祭と関連させようと思ったらまだ自分たちが旧約の垣根の中にいることを意味することなので、キリストは旧約の律法を壊して新しい契約の掟を制定してくださったのに再び行ったら、キリストに対敵して再び十字架にはりつけようとする結果になりませんか。

0020-03-31

神様の教会安商洪様<異端とは 3>이단이란3,예수님을 통해서도 알수 있듯 진리는 승리

キリスト教が始まって以来今日のように 「異端」という単語が時間、場所、対象を問わず無分別に使われた時はかつてなかったはずです。近来にはクリスチャン、非クリスチャンを問わず「異端」という単語を何の考えもなく使う場合がたくさんあります。
神様の教会ではキリストが再び来られると預言された聖書の御言葉どおり人の姿で来られた安商洪様を信じて安商洪様が教えられた過越祭、安息日などを聖書どおり守っています。しかし人々は「人を信じる所だ」「安息日を守る」という理由で隣人の言葉だけ聞いて聖書は調べず神様の教会を無条件に異端として排斥していますが実は聖書にもない日曜日(主日)、クリスマス、サンクスギビング・デーを守って十字架とマリアに仕える多くの教会を聖書では異端だと知らせています。
では異端について正確に調べてみます。異端というのは、大抵決まった伝統や権威に反対する道、すなわち神様の法に従わず不法を行う団体を言います。異端は天国ではない滅亡に行く道を知らせる道しるべと同じなので異端に対する正しい理解が必要です。



イエス・キリストは異端か。


異端的な宗教団体信者たちの数字が聖書どおり行う正統教会聖徒たちより多くなればむしろ正統教会を 「異端」という、笑うことができない事が発生する場合がたびたびあります。

1) 1900年前にはキリストも異端として扱われました。

民族全体がユダヤ教だった1900年前、ナザレ出身であるキリストに従う宗教として当時の人々はキリスト教を 『ナザレ人の分派』 (ナザレ人らの異端:口語訳)と称しました。(使 24:5)。

イエス・キリストを異端視したユダヤ人たちがキリストを殺そうと思ったことが一、二回ではありませんでした。

ヨハ 8:59 『ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。』

ヨハ10:30 -31 『わたしと父とは一つである。」ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。』

ヨハ11:53 『この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。』

イエス・キリストを異端視した当時の宗教指導者たちはイエス・キリストをそしり、謀略して十字架にはりつけるまで自分たちの悪を悟れず、自分たちの行いが神様に忠誠する行いだと思い自分たちの行いが正しいと考えて「その血の責任は、我々と子孫にある」と自信満々に叫んだのです (マタ 27:23~25)。

神様が人の姿で来られたと言ってもその方の神性は神様であり、人間ではありません。しかし不信者たちの目には、キリストが自分を神格化させることにしか見えなかったはずです。イエス・キリストは石を持って自分を打とうとするユダヤ人たちに「その中のどの 業のために、石で打ち殺そうとするのか」 その質問をなさった時も彼らはあまりにも堂々と言いました。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ」(ヨハ10:33)と言いながらイエス・キリストを殺そうと思った位に彼らはイエス・キリストを異端視しました。

2) 弟子たちも異端として扱われた。

神様であるイエス・キリストを異端に定罪した人々がイエス・キリストの弟子たちを正統と認めることができますか。使徒たちが福音を伝える時もユダヤ人たちはクリスチャンたちを異端だと罵倒し、大工の息子であるキリストを神格化させる異端者だと罵倒しました。それでイエス・キリストをキリストだと証しした弟子たちはむち打たれ(使5:40)、追い回されて(使9:23~25)、甚だしくは石に叩かれて死んだりしました(使7:59)。

使24:1∼9 『実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、「ナザレ人の分派」の主謀者であります。』

使 7:59∼60 『人々が石を投げつけている間、ステファノ は主に呼びかけて … 「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(死んだ)』

3) 現在の異端観

改新教に通っていたある執事が尋ねて来て御言葉を学んだ後に自分が通った教会へ行って牧師に質問をしたと言います。

「安息日は日曜日ではなく土曜日だと言い、12月25日はイエス・キリストの誕生日ではないと教える教会があるのですがその言葉は事実ですか。」

その牧師の答えが傑作だったと言います。

「聖書的に安息日は土曜日が正しく、12月25日がイエス・キリストの誕生日ではないことは事実だが、安息日礼拝をささげたり、クリスマスを守らない教会は異端です」と言ったそうです。

この言葉はどんな意味でしょうか。

聖書を根拠とした「異端」ではなく、自分の属した教団ではないから「異端」だという結論を付けてしまったのです。イエス・キリストと弟子たちは安息日を守ってクリスマスを守らなかったから、イエス・キリストと弟子たちも異端でしょうか。このごろはイエス・キリストが行って教えられた方法どおり行えば、むしろ異端だという判定を受けますが、これはまさに自分たちがイエス・キリストを異端だと罵倒する行動をしているとしか見えません。


真理は必ず勝利する


地動説を主張したコペルニクスやガリレイもその時代には異端と判定されました。

全宇宙の中心が地球であり、地球の周りを太陽と月、星が回ると思っていた当時ロ-マ教会の教えである天動説を反駁して太陽の周りを地球が回っているといういわゆる 「地動説」を主張したからです。

コペルニクス、ガリレイなど天文学者たちの主張は長い歳月の間異端邪説に取り扱われたが、科学が発達して地動説が常識化された現時点では彼らを異端だと言う人は誰もおらず、むしろ先覚者だと言うではないですか。既に私たちは聖書を通じて異端が何なのか確実に知りました。神様を信じて、聖書が聖霊の感動で記録された文だということを信じたら真理教会と異端教会を分別できると信じます。

世の人々が正統だと認めるか認めないか、これで異端を判断するよりは聖書に記録された御言葉どおり 行うか行わないかを通じて異端を判断しなければなりません。安商洪様が立てられた神様の教会は聖書の御言葉どおり行う真の教会です。

良い木が悪い実を結ぶことができず、悪い木が良い実を結ぶことができないように、聖書に記録された御言葉どおり行わない人々は決して天国に行けません。

真理は必ず勝利します!

0020-03-30

神様の教会安商洪様<異端とは 2>이단이란2,이단의결국은 멸망과 이단과 정통의 비교

異端とはキリスト教が始まって以来今日のように 「異端」という単語が時間、場所、対象を問わず無分別に使われた時はかつてなかったはずです。近来にはクリスチャン、非クリスチャンを問わず「異端」という単語を何の考えもなく使う場合がたくさんあります。
神様の教会ではキリストが再び来られると預言された聖書の御言葉どおり人の姿で来られた安商洪様を信じて安商洪様が教えられた過越祭、安息日などを聖書どおり守っています。しかし人々は「人を信じる所だ」「安息日を守る」という理由で隣人の言葉だけ聞いて聖書は調べず神様の教会を無条件に異端として排斥していますが実は聖書にもない日曜日(主日)、クリスマス、サンクスギビング・デーを守って十字架とマリアに仕える多くの教会を聖書では異端だと知らせています。
では異端について正確に調べてみます。異端というのは、大抵決まった伝統や権威に反対する道、すなわち神様の法に従わず不法を行う団体を言います。異端は天国ではない滅亡に行く道を知らせる道しるべと同じなので異端に対する正しい理解が必要です。


異端の結局は滅亡

今までよく見た内容のように「異端」という単語が「選択する」、「分離する」という意味がありますが、異端は結局地獄へ行くしかないという事実を理解するようになりました。

キリスト教的な観点でどのような人々を異端と指目するかというのは、聖書の教えどおりしない宗教団体を示し、異端は神様の真理を妨げるために敵である悪魔によって蒔かれた毒麦であることを知らなければなりません。  

キリストはこのような異端が登場するようになることをあらかじめ預言なさいました。

マタ13:24∼42 『天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が 眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 …刈り 入れまで、 両方とも育つままにしておきなさい。刈り 入れの 時、 「まず毒麦を集め、焼くために 束にし、麦の方は 集めて倉に入れなさい 」と、刈り取る者に言いつけよう。」 …毒麦が 集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』


異端と正統の比較


前の部分で言及したように異端は神様の法に従わず不法を行う団体です。
異端が行うさまざまな不法の中で日曜日礼拝制度を例に挙げて見ます。

神様の掟である安息日は第7日目として今日の土曜日に当たります。ところでこの本の73ペ-ジにある [十戒を変改させた者等] に引用されたカトリック教理書である億万人の信仰(ジョン・オブライオン著) 591ペ-ジの内容を見ると「聖書には日曜日ではなく土曜日と明示されているから、聖書から宗教を誕生させたと言い張るカトリックではない人々も土曜日の代わりに日曜日を守るのはおかしいではないか。」という内容、そして「これは(日曜日制度は) 聖書に明示された文によったのではなくて、カトリック教会の権威に土台を置いたことだが彼らは(プロテスタント : 改新教) この慣習をそのまま続けて来ている」という内容の中でも日曜日礼拝制度は神様の御言葉ではない、人の戒めだということを明らかに現わしています。

異端と正統を分別するさまざまな内容の中で安息日の掟だけを例であげました。神様の掟である安息日を守ることは聖書に従っているので正統ですが、日曜日は人の戒めに 従っているので異端です。安商洪様の教えに従う神様の教会は安息日を守っている正統 教会です。

神様の教会安商洪様<異端とは 1>이단이란1,이단의 정의와 이단의 특징

異端とはキリスト教が始まって以来今日のように 「異端」という単語が時間、場所、対象を問わず無分別に使われた時はかつてなかったはずです。近来にはクリスチャン、非クリスチャンを問わず「異端」という単語を何の考えもなく使う場合がたくさんあります。
神様の教会ではキリストが再び来られると預言された聖書の御言葉どおり人の姿で来られた安商洪様を信じて安商洪様が教えられた過越祭、安息日などを聖書どおり守っています。しかし人々は「人を信じる所だ」「安息日を守る」という理由で隣人の言葉だけ聞いて聖書は調べず神様の教会を無条件に異端として排斥していますが実は聖書にもない日曜日(主日)、クリスマス、サンクスギビング・デーを守って十字架とマリアに仕える多くの教会を聖書では異端だと知らせています。
では異端について正確に調べてみます。異端というのは、大抵決まった伝統や権威に反対する道、すなわち神様の法に従わず不法を行う団体を言います。異端は天国ではない滅亡に行く道を知らせる道しるべと同じなので異端に対する正しい理解が必要です。



異端の定義



1) 国語辞典での「異端」

① 自分がしたがう思想以外の道

② 正しくない道

③ 伝統や権威に反対する主張や理論。


2) 原語的な意味異端に翻訳されたヘブライ言「ハイレシス」は「選択する」という意味を持った「ハイレオマイ」から由来した言葉として異端、選択、意見、党派などに解釈される。


3) 異端に対する聖書句節先に聖書で 「異端」という単語が登場する聖書句節を列挙して見ます。


ガラ 5:20  『偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い…』  


二ペト 2:1  『彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、 ……』


テト 3:10 『分裂を引き起こす人には 一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを 持たないようにしなさい。』


4) キリスト教的な思想の中での異端 


初代教会の異端: キリストの教えどおり教会の真理をほかの思想、またはほかの教理を伝える集団を異端と定義します。言い換えれば、聖書に記録された神様の御言葉どおり従わない宗教団体がまさに異端です。



異端の特徴



二ペト 2:1  『かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな 楽しみを見倣っています。彼らのために真理の 道はそしられるのです。彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滯ることはありません。』


  異端はその結果が滅びです。 

異端は真理の道を妨げています。 

異端は聖書の御言葉どおりせず人の戒め、すなわち人の作った言葉で教えたりする体 です。


「私の通う教会ではない」、また「私の通う教団ではない」だとやたらに異端だと決めるのは困ります。私が通う教会、教団というのではなく、聖書を基準にして聖書どおりしない教会は異端なので結局滅びるようになります。


マタ 7:21∼29  『わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。…わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。…わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を 建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。』