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0020-04-06

神様の教会安商洪様<雲と肉体3>구름과육체3,마지막심판은 불에 옹위되어 강림

雲と肉体ルカ21: 27-28 『そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来られるのを、人々は 見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の 時が 近いからだ。』将来、来られる再臨キリストは雲に乗ってこの地に来られ、失われた真理を取り戻してくださり、神様の子供を天国に導かれると言いました。ここでいう雲は肉体を言い、聖書に記録された預言によって(ダニ 7:13~14)雲、すなわち肉体を着て来られた初臨キリストのように再臨キリストも雲、すなわち人の姿で肉体を着て来られるという預言です。聖書の預言に従って人の姿で来られた再臨キリストは、安商洪様です。神様の教会の聖徒たちはキリストが昇天なさる時 「どうして立って空を眺めているのか 」という天使の声のように、空にある雲だけ眺めて再臨を待つのではなく、聖書の預言どおり人の姿で来られた再臨キリスト安商洪様を迎えて、いまだにこの事実を知らず空の雲だけ眺めている多くの人々に再臨キリスト安商洪様を伝えています心を開いて御言葉を調べ、救いの道を知らせてくださる再臨安商洪様を迎えてください。


最後の審判は火に擁護されて降臨


最後審判主として来られるキリストは雲に乗って来られるのではなく火に擁護されて天から降臨されます。 預言者イザヤは最後にキリスト降臨は火に燃えて来られると言いました。記録したところ

イザ 66: 15-16 『見よ、主は火と共に来られる。主の戦車はつむじ風のように来る。怒りと共に憤りを /叱咤と共に火と炎を送られる。主は必ず火をもって裁きに臨まれ/剣をもってすべて肉なる者を裁かれる。主に刺し貫かれる者は多い。』と言い、使徒パウロは

二テサ 1: 7-8 『 また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの 報いを実現なさいます。主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。』

ヘブ 12: 29『 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。』

マタ 24: 30 『人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。』

ルカ 17: 22  『あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。』と言いました。

もう一度言えば、申し上げると雲に乗って来られる再臨キリスト は見ることができても火と共に来られるキリスト はおそれ多くて見られないでしょう。そして雲に乗って来られる時には神様を信じる人を探すことができないと言われました。

ルカ18: 8 『人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』と言い、

新改訳には 『人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。』と言いました。

もし信じる人がいなければ救いは誰が受けますか。ですから

マタ 24: 31 『天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。』と言いました。

雲に乗って再臨キリストが来られて選ばれた者等を四方で集めるという御言葉で、初臨の時のように空の雲すなわち人の姿で来られて選んだ民たちを四方で集めていらっしゃいます。その方が安商洪様です。聖書の御言葉をはっきりと悟って預言どおりに 来られた再臨キリスト安商洪様を迎接して救いを得てください。

0020-04-04

神様の教会安商洪様<雲と肉体 2>구름과 육체2, 구름을 타고 오신 그리스도

雲と肉体ルカ21: 27-28 『そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来られるのを、人々は 見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の 時が 近いからだ。』
将来、来られる再臨キリストは雲に乗ってこの地に来られ、失われた真理を取り戻してくださり、神様の子供を天国に導かれると言いました。ここでいう雲は肉体を言い、聖書に記録された預言によって(ダニ 7:13~14)雲、すなわち肉体を着て来られた初臨キリストのように再臨キリストも雲、すなわち人の姿で肉体を着て来られるという預言です。
聖書の預言に従って人の姿で来られた再臨キリストは、安商洪様です。神様の教会の聖徒たちはキリストが昇天なさる時 「どうして立って空を眺めているのか 」という天使の声のように、空にある雲だけ眺めて再臨を待つのではなく、聖書の預言どおり人の姿で来られた再臨キリスト安商洪様を迎えて、いまだにこの事実を知らず空の雲だけ眺めている多くの人々に再臨キリスト安商洪様を伝えています
心を開いて御言葉を調べ、救いの道を知らせてくださる再臨安商洪様を迎えてください。



雲に乗って来られたキリスト


ダニエル預言者は黙示の中で人の子が雲に乗って来られることを見て預言しました。記録に

ダニ 7:13-14 『夜の幻をなお見ていると、/見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。』

マタ 28:18 『イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。』

しかしキリストは実際の雲に乗って来られたのではなくマリアの身を通じて赤んぼうとして誕生しました。あるいは預言者ダニエルはキリスト再臨を預言したものだと言う人々がいるが、再臨に対する預言ではなく初臨に対する預言が明らかです。その理由は預言者ダニエルの預言の中に「権威、威光、王権を 受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え」と言いました。

マタイやルカは キリストが初臨されて神様に天と地のすべての権勢と国を受けたと記録しました。

ルカ 22:29『だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。』と言いました。

初臨キリストが肉体で来られたことを預言書には雲に乗って来られると言ったから再臨キリストが雲に乗って来られると言ったその預言が潜行時に肉体で来られる再臨キリストに対する証拠でなくて何でしょうか。そしてまた一つ弁解することができないことは「はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタ24: 34-35)とおっしゃいました。

それでは 「この世代が過ぎ去る前」 とおっしゃったその期間はどれだけの期間を置いておっしゃった御言葉でしょうか。1900年前におっしゃった御言葉なのにまだこの世代が過ぎ去らなかったのでしょうか。聖書には一世代について次のように記録されています。

詩 90:10 『人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても。』

だとしたら、キリストがおっしゃった 「この世代が過ぎ去る前に」 という御言葉は人の子が雲に乗って来て天使とともに選んだ民を四方で集める期間を置いておっしゃった御言葉だと解釈するしかありません。

神様の教会安商洪様<雲と肉体1>구름과 육체,재림그리스도께서 구름타고오실것에 대한내용과 구름은 육체이다.

ルカ21: 27-28 『そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来られるのを、人々は 見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の 時が 近いからだ。』
将来、来られる再臨キリストは雲に乗ってこの地に来られ、失われた真理を取り戻してくださり、神様の子供を天国に導かれると言いました。ここでいう雲は肉体を言い、聖書に記録された預言によって(ダニ 7:13~14)雲、すなわち肉体を着て来られた初臨キリストのように再臨キリストも雲、すなわち人の姿で肉体を着て来られるという預言です。
聖書の預言に従って人の姿で来られた再臨キリストは、安商洪様です。神様の教会の聖徒たちはキリストが昇天なさる時 「どうして立って空を眺めているのか 」という天使の声のように、空にある雲だけ眺めて再臨を待つのではなく、聖書の預言どおり人の姿で来られた再臨キリスト安商洪様を迎えて、いまだにこの事実を知らず空の雲だけ眺めている多くの人々に再臨キリスト安商洪様を伝えています
心を開いて御言葉を調べ、救いの道を知らせてくださる再臨安商洪様を迎えてください。



雲に乗って来られるだろう


雲に乗って来られる初臨キリストについて私たちは深刻に研究しなければなりません。その理由はもし雲に乗って初臨キリストが来られたら、それを信じない人は滅亡し、もしその雲を預言として解釈する時、実際の雲ではなくて肉体で来られる初臨キリストを雲で表現したら、実際の雲だと信じて固執した人々はすべて滅亡してしまうからです。


1900年前、キリスト初臨当時、エリヤがキリストより先に来られることについてファリサイ人たちはよく知っていました。(マタ 17:10-13 、マタ 11: 14 比較)。ところでエリヤは火の車に乗って嵐に包まれて昇天しました(王下 2: 11)。それで祭司たちと書記官たちやファリサイ人たちは、来られると言ったエリヤが昇天した姿のまま火の車に乗って来られると信じたから、来られたエリヤ(浸礼ヨハネ)を迎えることができず批判し結局滅亡してしまいました。エリヤ(ヨハネ)は彼らが火の車に乗って来られることを眺めるその前にエリサベツの身を通じて赤んぼうで誕生しました(ルカ 1: 57-66)。火の車に乗って来られることを信じて待っていた悪党たちはすべて滅亡したので、この事が鏡になって終わりの時にも雲に乗って来られるキリストを信じる人々がそのようになったとしたらどうしますか。


過ぎ去った歴史を見て疎かに思うのではなく、最善の努力をつくして研究しなければなりません。


「このような事が始まったら起きて頭をあげなさい。あなたがたの救いは近い」とおっしゃったし、また 「天使たちを送って自分が選んだ者を天の果てから果てまで四方で集めよう」と 言われました。


一般クリスチャンたちの考えでは雲に乗って審判主としていらっしゃれば地球は破滅して救いを受けた民が復活した聖徒たちとともに空中でキリストを迎えると思っていますが、聖書にはそのようになってはおらず人の子が雲に乗って来た時に 「このような事が起こり始めたら頭をあげなさい。あなたがたの救いは近い」と言われ、また 「選んだ民を四方で集める」と記録されています。


すなわち、雲に乗って来られる再臨キリストは地球を破滅させに来られたのではなく、キリストに選ばれた民を集めるために来られたのです。選んだ民になるためには雲に乗って来られた再臨キリストを迎えなければなりません。


雲は肉体


私たちがはっきり知らなければならないことは、雲に対する問題です。キリストがどこにおられて雲に乗って来られるのか、それも考えなければならないことです。雲は地上の水が蒸発してたくさん集まっています。この雲が大気中では雲集していて雪にもなり雨にもなって降るのが雲の変化です。ところでキリストがどこにいらっしゃり雲に乗って来られるのでしょうか。だから聖書の預言上、雲が何なのか研究しなければなりません。


ヘブ 12:1 『わたしたちは、このような 多くの証人に雲のように囲まれているのであるから』(口語訳)


ユダ 1: 12  『こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を 汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲』


「多くの 証人に 雲のように 囲まれているのであるから、 」

「 このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから 」「風に追われて 雨を 降らさぬ雲」

二つとも雲を肉体を持った人に表象しています。

肉体を持った偽預言者を 「水のない雲」と言ったから、水のある雲は肉体を持った真の預言者ではないでしょうか。


雲の水は生命水を表象したりもします。


ゼカ 14: 8 『その日、エルサレムから命の水が湧き出で/半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい』と言われ、


イエス・キリストは

ヨハ 7: 37-39 『祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている “霊”について言われたのである。イエスはまだ 栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである』と言いました。使徒ペトロは


二ペト 2: 17 『この者たちは、干上がった 泉、嵐に吹き払われる霧であって』と言いました。


水のない泉や狂風に押しのける霧は見かけの良い偽りのキリスト教人たちを示します。 霧は雨のない雲です(ユダ 12節)。

そして水蒸気で蒸発して見られなかった水がありますがその水は肉体を持ったすべての人類を表象しました。


黙 17: 15 『あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民である 』


民を水と言ったから雲は何ですか。水が太陽熱に水蒸気で蒸発し上昇して雲集したものが雲です。彼と一緒に肉体を持った人の中に聖霊で生まれかわった人を雲に表象したのです。だからキリストが肉体で来られることを 「雲に乗って来られる」と言いました。

0020-03-06

神様の教会安商洪様,再臨キリスト <神様が東方に来られるだろう。,神々しい国、 韓国>"동방에오신그리스도"

私のブログを訪ね下さって感謝を差し上げます。福にあずかるよう願います。神様の教会では 安商洪様を信 じています。 安商洪様は 神様です。

神様が東方に来られるだろう。


イザ 41:2 「東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き/国々を彼に渡して、王たちを 従わせたのは誰か。この人の剣は彼らを塵のように/弓は彼らをわらのように散らす。」


上で見れば、神様が東から人を奮い立たせると言われました。そして国々がその前に従わせたと言われたので、その方はとても大きな権勢を持った方であることが明らかです。だったら、この方は果して誰でしょう。同じ章4節から見るとその方が誰なのか分かります。


イザ 41:4  『この事を起こし、成し遂げたのは誰か。それは、主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの/初めであり、後の代と共にいるもの。』


そうです。東方で起きたその方は神様です。すなわち神様が親しく肉体を着て東方に来られるという御言葉です。その御言葉そのままいらっしゃった方がまさに安商洪様です。ゆえに神様の教会で迎えた安商洪様は神様です。


また、同じ章 46節には、


イザ 46:11  『東から猛禽を呼び出し/遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。 わたしは 語ったことを必ず実現させ/形づくったことを必ず完成させる。』と記録されています。


預言者イザヤはもう一度東の遠い国で起きる一人に対して記録しています。聖書で猛禽 は神様を譬えているから(申32:11、出19:4)、東方で猛禽を呼んでまた一人を呼ぶという話は神様が人として東方に来られるという御言葉です。それで安商洪様が人の姿で来られたのです。

神々しい国、 韓国


2、000年前、イスラエルはたとえ小さな国だったが神様が来られた神々しい地でした。このように終わりの時には東方の地の果てである韓国は小さな国ですが神様が二番目に来られる場所に決められた神々しい地です。


終わりの時に神様の焼き尽くす火の中から救われる東方のその小さな群れはどれだけ恵まれた者でしょうか。聖書は彼らが嬉しくて叫んで東方で神様に栄光を帰すと言いました。


預言によって東方地の果て韓国へ来られた安商洪神様を迎えて、救いを受ける群れの中に入りたくありませんか。


固定観念を破ってください。そして今皆さん胸の中で聞こえる小さな声に聞き入ってください。それはまさに再臨キリスト安商洪様が皆さんを呼ばれる、小さいけれど強い声です。

私のブログを訪ね下さって感謝を差し上げます。福にあずかるよう願います。神様の教会では 安商洪様を信 じています。 安商洪様は 神様です。

神様の教会 安商洪様,再臨キリスト<東方に対して,東の果ての国である大韓民国 >'동방에오신그리스도"

神様の教会では 安商洪様を信 じています。 安商洪様は 神様です。


東方に対して

聖書にはイエス・キリストが二番目にこの地に来られる時、一番目と同じく人の姿(雲)で臨むと言われました。

ですから預言にしたがって彼の再臨のための場所が必ず存在しなければなりません。初臨の時、ベツレヘムに来られるということが預言されたように、再臨の時も来られる場所が聖書に預言されています。それはまさに東の果てにある国、大韓民国です。

再臨キリスト安商洪様は預言にしたがって人の姿で臨まれて、いちじくの木の教えを通じて 1948年来られ、再臨の時に来られる場所、東の果ての国である大韓民国に臨まれました。聖書の一点一画も違わない正確な預言をどうして認めないでいられますか。神様の教会の聖徒たちは聖書を通じて直接見て聞いたことを信じています。皆さんも聖書あちこちに隠されておかれた再臨キリスト安商洪様の生きておられることを感じてみるよう願います。

東の果ての国である大韓民国

イザ 24:15-16  『それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。地の果てから、歌声が聞こえる。「主に従う人に誉れあれ」と。しかし、わたしは 思った。「わたしは 衰える、わたしは 衰える/わたしは 災いだ。 欺く者が欺き/欺く者の欺きが 欺く。』

この預言は神様の選ばれた民が東の果てから神様をほめたたえるはずだという内容です。同じ章 1節から読んで見ると、これは終わりの日に対する預言であることが分かります。神様が地をくつがえしてすべての住民を散らされ、民を燃やしてしまってこの地のすべての楽しみを消滅させる終わりの日に東方地の果てで一つの群れが楽しく叫んで神様に栄光を帰すという意味です。言い換えると、神様が末世に東方で彼の選んだ民を導くという御言葉です。

それでは東方はどこを示すのでしょうか。東方という時私たちは先にどこを基点にするかを知らなければなりません。預言者イザヤがこの預言を記録した所はイスラエルです。したがってイスラエルを基点にする時東はアジアです。それではアジアに属している国々の中、東方の地の果てにある国はどこでしょうか。ソ連は北にあって、インドは南側に、中国は中間にあります。そして日本は東にあるが地の果てではなく周りが海である島です。

したがってこのすべての国は東方地の果てに該当しません。東方地の果てにある国はただ韓国だけです。

そうです。再臨キリストは東方地の果てである韓国へ来られるとに預言されています。その預言そのまま安商洪様が東方地の果てである韓国へいらっしゃいました。神様の教会聖徒たちは人間の薄っぺらな固定観念に捕らわれて救い主を迎えない人のようにならず、聖書の預言どおり東方地の果て国へ来られた再臨安商洪様を迎えました。全てが安商洪様のとても大きな恵みであり愛です。

神様の教会では 安商洪様を信 じています。 安商洪様は 神様です。

0020-03-04

神様の教会 安商洪様,再臨 イエス様<シオンを建設された安商洪様>"시온을건설하신안상홍님"

聖書はキリストが必ず 再臨 しなければならないと 証ししています。
神様の教会では 再臨 イエス様 安商洪様を 信 じています。
シオンを建設された安商洪様


まず聖書には二つの種類のシオンがあるということが知らなければならない。ダビデ王が立てた実在のシオンとキリストが立てられた神様の祭りを守る城、すなわち預言的シオンがある。シオンという観点からダビデ王とキリストの預言的関係を研究して見ましょう。

前書き聖書を通してダビデ王が誰を表象しているのか調べてみましょう。

エゼ37:24 『わたしの僕ダビデは彼らの王となり、』
ルカ1:31-32 『神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。』

イエス様は確かに預言的ダビデ王だ。ダビデ王の生涯を通して彼らが共通に持っている預言的部分を調べてみましょう。

サム下5:7 『しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。』

ダビデ王がシオン山城を占領したが、これがまさに預言的ダビデ王なるイエス様によって成し遂げられる予言的部分だ。ダビデ王がシオン城を建てたのように、イエス様は預言的シオンを建設された。 それではどのような預言的シオンが立てられるのか調べましょう。

イザ33:20 『シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。(定めの祭の町シオンを見よ:口語訳)』

イエス様がいらっしゃって新しい契約の祭りを守る教会を建てられた。神様の祭りを守る所はどこでも預言的シオンになることだ(イザ33:20、レビ23:1)。イエス様はダビデ王の預言についてシオンを建設されて新しい契約の祭りを守られて、弟子たちもその祭りを守った(ルカ4:16、マタ26:17、ルカ22:7-20、使2:1、ヨハ7:2)。しかしサタンは中世暗黒期の間神様の祭りをなくした。これはイエス様が新しい契約の祭りで立てられたシオンが廃虚になることを示す。

ダニ 7:25 『彼はいと高き方に敵対して語り /いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ …』

預言者イザヤは神様の祭りを守るシオンが崩れることを預言し、その預言どおりシオンは廃虚になった。

イザ51:3 『主はシオンを慰め/そのすべての廃虚を慰め … 』

シオンが廃虚になった状態では誰も天国に入ることができません。シオンは私たちの救いのために回复されなければなりません。 預言者ミカは終わりの時代にシオンがまた立てられることを預言しました。

ミカ4:1-2 : 『終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く 立ち … 主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。』

聖書は私たちが終わりの日にシオンを捜すことができると記録されてあります。 これは神様の新しい契約の祭りを守るシオンが誰かによってまた回复することを意味します。 それでは、サタンによって破壊されたシオンを誰が終わりの日にまた立てるのか調べてみましょう。

詩102:16-22 『主はまことにシオンを再建し/栄光のうちに顕現されます。』
詩 87:5 『シオンについて、人々は言うであろう…/いと高き神御自身がこれを固く定められる。(口語訳: いと高き者みずからシオンを/堅く立てられるからである)』

ここで ' シオンをを固く定められる ' という言葉は ' 失われてた神様の祭りをまた回复される ' という意味です。 終わりの日シイエス様(神様)が肉身を着て二度目来られて神様の祭り守るシオンをまた建設なさることでしょう。

だとしたら、終わりの日にシオンをまた立てられるために神様は何を持って来なければなりませんか(新しい契約の祭り)。このような預言について安商洪様はこの地に来られて失われたすべての祭りを回复させ賜ってシオンをまた建設された。したがって安商洪様は再臨キリストであり、シオンを立て賜って私たちを救いに導かれる神様であります。

安商洪様を信じて魂の救いのためにシオンに出てください。

聖書はキリストが必ず 再臨 しなければならないと 証 ししています。
神様の教会では 再臨 イエス様 安商洪様を 信 じています。

0020-03-03

神様の教会 安商洪様,再臨 イエス様<ダビデ王と安商洪樣>"다윗왕과안상홍님"

神様の教会は 安商洪神様を じています。安商洪様は 私たち神様です。
ダビデ王と安商洪樣


聖書は深く隱されてある秘密の連續です。再臨キリストに付いてもっと深く理解するためにダビデの生涯に秘めてある秘密を硏究してみましょう。

ホセ3:5『その後、イスラエルの人々は歸って來て、彼らの神なる主と王ダビデを求め、終わりの日に、主とその惠みに畏れをもって近づく。』

この預言はダビデが死んだ後長い時間が經って記錄されました。ゆえにこの預言は肉的ダビデでなく靈的ダビデ王を指してのことが明らかです。聖書を通じて靈的ダビデ王がどなたか調べてみましょう。 


1.私たちが終わりの日に求めなければならない預言的ダビデ王はどなたですか。
イザ9:5『(イエス樣が)ダビデの王座とその王國に權威は增し』

ルカ1:32 『神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる』  
これはイエス樣に對する預言です。ゆえにイエス樣が預言的ダビデ王という事實が分かります 


2.ダビデ王とイエス樣との關係でどの部分が預言的要所であるか。 
サム下5:3『長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした.ダビデは三十歲で王となり、四十年間王位にあった。』

ルカ3:21~23『イエスも洗禮を受けて…イエスが宣敎を始められたときはおよそ三十歲であった。』
ダビデが三十歲に王になったようにイエス樣も三十歲に浸禮を受けられた。ではイエス樣は何年間福音の御業をしなければなりませんか(40年) 

ルカ13:6~7 『もう三年もの間、このいちじくの木の實を探しに來ているのに、見つけたためしがない。』
イエス樣はダビデの王座の預言につれて來られたから40年間福音の御業をしなければならなかったが3年しかできなかった。では殘りの37年はどうしなければなりませんか。ダビデの王座の預言を成し遂げるためにイエス樣は二度目にこの地に來られなければなりません。
ヘブ9:28 『…二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。』

3.イエス樣は二度目にこの地に來られる時靈的ダビデ王として見分けることができるようにどんな證しを持って來られなければなりませんか。 
イザ55:3『わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した眞實の慈しみのゆえに。』
ダビデ王、すなわち再臨イエス樣はとこしえの契約を持って來られなければなりません。それは終わりの日にその方を見分ける確かな印になるでしょう。 

4.永遠の契約とは何か。
ヘブ13:20 『永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が。』
永遠の契約はキリスト·イエスの血にて結ばれた契約です(マタ26:28;ルカ22:20) 


イエス樣が30歲で浸禮を受けられて新しい契約を傳えられたように、再臨イエス樣も30歲で浸禮を受けられて殘りの37年の間新しい契約を傳えなければなりません。
結果的に靈的ダビデ王は聖書に記錄されたダビデの王座の預言を成就された安商洪樣です。  

* 安商洪樣の略歷
1918年に聖誕された。 
1948年30歲になった年に浸禮を受けられた。 
浸禮後 37年目の年になる1985年昇天なされた。
1981年3月18日週刊宗敎新聞に1985年昇天なさることを預言なされた。  
安商洪樣は終わりの日に私たちが求めるべきダビデの王です。
安商洪樣を信じて救いの祝福にあずかりましょう。

神様の教会は 安商洪神様を じています。安商洪様は 私たち神様です。

0020-03-02

神様の教会 安商洪様,再臨 イエス様<命の實と安商洪樣>"생명과와안상홍님"

神様の教会は 安商洪樣を 信じです。安商洪樣は 再臨キリストです。

命の實と安商洪樣

すべての人類は生まれたら必ず死に至ります。私たちはなぜ死ぬようになったのでしょうか。エデンの園の死の歷史を通じてその理由が分かります。私たちが失われた命を回復する方法はないのでしょうか。その永遠の命の秘密もエデンの園で搜すことができます。

マタ13:35 『わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隱されていたことを告げる』
イエス樣はこの地に來られて天地創造の時から隱されていたことをたとえを用いて告げられました。多くの秘密の中で永遠の命を回復する唯一の方法である命の實について硏究してみましょう。まず死の歷史について調べてみましょう。 

創2:16『善惡の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』
アダムとエバはサタンの誘惑にのり、善惡の實を取って食べて死ぬようになりました。彼らに永遠の命を回復する道は全くないのだろうか。神樣が永遠の命に出でる道を遮って置かれたのか。

創3:22『手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。』
罪人にせよエデンの園の命の實を食べると永遠の命を得ることができました。だとすれば命の實は何か。聖書はイエス樣がこの地に來られてエデンの園に隱されていた秘密をたとえで仰せられました。では命の實が何か調べることにしましょう。

ヨハ6:53 『わたしの肉を食べ、わたしの血を飮む者は、永遠の命を得…』
エデンの園では永遠の命を得るには何を食べなければなりませんか(命の實)。ヨハ6:53によると永遠の命を得るには何を食べなければなりませんか(イエス樣の肉と血)。だとすればエデンの園の命の實は何を表象するのか(イエス樣の肉と血)。エデンの園の命の實であるイエス樣の肉と血を食べれば永遠の命を得ることができます。どう食べるか調べてみましょう。

マタ26:17~28『「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緖に過越の食事をする」…「取って食べなさい。これはわたしの體である」…「皆、この杯から飮みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』
命の實は正にイエス樣御自身だ。そして過越祭はイエス樣の肉と血を食べる唯一なる方法です。だから過越祭を守るのが正に命の實を食べる道です。ところがエデンの園では命の實に出でる道が遮ってあります。誰がその道を遮ったのですか(神樣)。
では誰がその道を開けることができますか(神樣)。神樣は善惡の實を食べることによって死ぬべき人類を救うためにエデンの園の命の實を持って來られたのか調べてみましょう。

ヨハ10:10『わたしが來たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。』
イエス樣は初臨當時この地に來られて過越祭を通じて命の實の道を開け賜りました。それにも拘らず現在過越祭を守っている人を搜してみることができません。その理由はこの命の眞理である過越祭がサタンによってA.D.325年ニケア宗敎會議で廢止されたからです。それ以降誰も命の實を食べることができなくなって永遠の命を得ることができませんでした。 

ゆえにイエス樣は終わりのこの時代に御自分の民を救うために、二度目この地に來られると仰せになりました 

ヘブ9:28『「…二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。』
イエス樣が二度目に來られる目的は何ですか。(救いをもたらすために現れてくださるのです)。善惡の實を食べて死に至った人生を救うためには、エデンの何が必要ですか(命の實)。命の實は結局何ですか。(イエス樣の肉と血)。
イエス樣の肉と血を食べるために私たちに許された眞理は何ですか(過越祭)。 この終わりの時代に過越祭を再びもって來られた方はどなたですか(安商洪樣)。再臨イエス樣である安商洪樣を信じて永遠の命にあずかって天國に行きましょう。




神様の教会は 安商洪樣を 信じです。安商洪樣は 再臨キリストです。