0021-11-05

<神様の教会 安商洪様>御母様の愛1


御母様の愛




私たちが神様の愛を正しく悟れなければ、いつも喜び感謝して、神様に栄光を帰す信仰生活をすることができません。


二千年前、十字架につけられ、死んでまで犠牲になられたイエス・キリストの献身的な愛を使徒たちが悟った時、宣教の復興が起き、福音が全世界に急速に広がって多くの人々に伝えることができました。このように終わりの時代にも私たちが天の母の愛を悟り、天の父の御心を正しく理解する時、失われた天の家族たちを早くシオンに導くことができます。




限りない御母様の愛と犠牲


むかし、ある母親がいました。不幸にもその母親の幼い息子は悪い病気にかかって生死の境をさ迷っていました。母親は毎日真心を込めて、息子を生かすために全力を尽くしていました。


ある日、通りがかりの旅人が入ってきて一杯の水を求めました。母親は旅人のために水と少しの食べ物を用意するため台所に行きました。しかし、用意を終えて外に出てみたら、旅人は跡形もなく消えてしまい、大切な息子までどこかに消えていなくなってしまいました。


天が崩れるような悲しみに、母親は子供の名前を声を張り上げて呼びながら方々を捜しまわりました。いつのまにか夜が更け、母親の心はやるせない気持ちで一杯になりました。子供を捜そうとする一念で休まず捜しまわった母親は、足を踏み外して深い湖に落ちてしまいました。その時、湖の神が現れ、母親に言いました。


『湖を渡ることができるようにするから、あなたの美しくて宝石のように玲瓏とした両目を下さい。』


母親は息子を捜そうとする切実な心のため、ほかのことを考える余裕もなく、湖の神に両目を取り出して与えて湖を渡ることができました。


両目を失い、前を見ることができない盲人になった身で、ただ子供の名前だけを呼びながら道を迷っていた母親は、絶壁に足を踏み外し、深い谷間に落ちてしまいました。谷間には茨のやぶが生い茂っていました。何とか命は助かりましたが、母親の体は茨のとげに刺さり、血まみれになってしまいました。いくらあがいてもそこから抜け出すことはできませんでした。その時、茨の神が現れました。


『寒い冬なので私の体はこのように固く凍りつきました。母親の心は熱いと聞きましたが、あなたの熱い心で私を抱いて凍りついた私の体を温めてくれたら、あなたをいばらのやぶから抜け出すことができるようにしてあげます。』


何としてもここから抜け出して、息子を必ず捜さなくてはいけないという心で、母親は茨の神の頼みを聞き入れました。北風が吹きつけ、厳しい寒さの中であっても母親は茨の木を抱きしめました。鋭いとげが容赦なく刺さって全身は血まみれになっても、茨の木を温めなければ息子を捜しに行くことができなかったので、全力をつくして長い間、ひしと抱きしめました。


何時間かして、凍りついていた茨の木は除々に解けはじめ、寒い冬であっても芽を吹きました。そうすると、茨の木は退いて母親に道を開けてくれました。全身はとげが刺さり、傷だらけになってようやく抜け出した母親は、再び息子を捜しに行きました。自分の両目はどうなっても、自分の体はどうなってもかまわず、ひたすら息子の名前を切なく叫びながら一歩、また一歩と踏み出しました。


足を踏み出していくと、今度は墓が道をふさぎました。そこでは墓の神が母親を呼び止めました。墓の神は人が見るに嫌悪感を感じるほど老いて醜い老婆でした。


『私の許可なしに、ここから先は行けぬ。お前のその若さと美しさを私にくれるなら通してやろう。』


母親は息子がいないのに若さと美しさは必要ないと思い、墓の神の要求に応じて自分の若さを与えてしまい、自分は墓の神が持っていた老いて醜い姿になってしまいました。脚は力が抜け、全身は老いて醜い姿になった母親は、このようにすべてを犠牲にしてから、やっと切なる思いで捜していた息子と出会うことができたといいます。


この話は限りない母親の愛と犠牲を描いた昔話の一部分です。このように至って気高く純潔な母親の愛のため、この世のすべての人は母親に対する愛の心を持って生まれると言います。


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