0021-09-20

<神様の教会 安商洪様>神様の経営3


神様が経営される終わりの福音の御業





それでは、神様が成され経営される福音が、どう最後を飾るのか調べてみましょう。


黙14:1─5 『また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて…この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く…』


地上での福音の御業を終えられた時、この地で贖われ神様が建設された新しい天と新しい地に入る十四万四千人は、小羊の行くところへはどこでも従って行く者だと言われました。どこへ導かれようと従って行くということは、キリストに対する確実な信仰を意味しています。信仰が確実でない人は、どこへ導かれようと従って行くことができないからです。


神様の戒めを守って、キリストに対する信仰を堅く守った十四万四千人は本当に誇らしい子供です。神様は、経営しようと計画されたすべての御業を完全に成就されたことを二千年前すでに記録されました。遠からず十四万四千人は、小羊と共に、死も、悲しみも、痛みも、涙もない永久なる喜びだけ創造される新しい天と新しい地の民として、栄えある世で世々限りなく神様と一緖に住むようになるでしょう。


神様の経営は間違いなく完成し、必ず成就すると仰せになられた神様の御言葉をもう一度振り返って、周辺の状況や世の人々に対する恐れはすべて振り放ちましょう。『あなたの信じているとおりになるように』と言われました。世を恐れて福音を伝えるのをためらったら、私たちに不幸となり、恐ろしいことだけが生じるようになると仰せられた御言葉を思い出しましょう。


救わなければ地獄に行く哀れな魂を、どのようにすれば正しい真理の御言葉でキリストを受け入れるようにして、天国に導くことができるだろうかという恵ましく大胆な心で祈り、宣教するようになったら、その心によって初めて一つの魂、一つの命が神様の真理の中に入るようになり、救いの経営が成り立つようになるのです。


『最も小さいものも千人となり/最も弱いものも強大な国となる。主なるわたしは、時が来れば速やかに行う』(イザ60:22)と約束された神様がその経営をすべて成就される日ももう遠くありません。神様は私たちに、小羊がどこに導かれようと最後まで従って行く信仰を下さるために、日ごとに純金のように精錬されます。『わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる』(マコ13:13)と言われたので、キリストの御名のために憎まれるのは贖われる民には当然のことです。憎まれることが世の指弾を受けるようなことをしてではなく、何の理由もなしに憎まれると言われたので、世の人々がキリストの御名のために憎むと言っても、私たちは神様の御言葉が成就される過程であることを悟って、更に信仰を固くして福音を伝えることだけに力をつくさなければなりません。


世が私たちを憎んで、妨害して、迫害を加え、妬み、鞭を振るっても、神様の経営される計画は結局成し遂げられます。


神様に対する信仰なしに見れば、サタンの妨害や様々な迫害が大きく見え、むしろ神様の教会は小さく弱く見えて、今にも崩れそうに感じられるかも知れません。しかしそれは、神様を信じられないからであり、一寸先も見ることができない人間の考えに過ぎません。神様の経営される計画どおり神様が御自ら立てられた神様の教会は絶対に倒れません。


使5:38─39 『そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ …』


私たちが伝えるこの福音が、もし神様から出たのでなかったら、昔すでに崩れてしまったはずです。しかし、私たちの思想と真理が神様から出たのなら、世のいかなる強圧にも決して崩れません。神様の代わりに福音を伝えることを委ねられ、御自らこの地まで来られ闇の中に隠されてある秘密を明るみにされ、立てられた神様の真理の御言葉ですから絶対に崩れません。


私たちに仰せられた使命も神様から出たものなので、この使命ほど恵ましく聖なるものはありません。自負心と合わせて貴い使命を下さった神様に感謝しなければなりません。


御父様が言われた御言葉の中に、このような御言葉があります。「世の人が私を羨まないから、私もまた世の人を羨みません。」


世の人は誰も私たちを羨みません。世で高い地位を持った人を羨む人はいても、天国の使いの務めを持った私たちを羨む人はいません。私たちもまた、一番大事な神様の福音を委ねられているし、その使命を果たす日、天国に入城するようになっているので、この世の何事も羨ましくありません。ひたすら神様の経営に参加している私たちは、お召し下さった神様を喜ばせてさしあげるために、私たちに任せて下さった使命と職分、見張りの使命を恵ましく完遂し、よくやったと誉められるその日を思い慕い忠実を尽くすのみです。


神様は、ヨハネの黙示録2章の御言葉を通して、死に至るまで忠実であれ、そうすれば、命の冠を授けようと約束されました。死に至るまで忠実に尽くし、間違いがあったら何を期待し、何を得るのでしょうか。しかし、神様の御言葉は一点一画も間違いなく成就される確かな結果があるものなので、死に至るまで忠実であれと言われたのです。決して失敗することなく、すべて成就される神様の経営に私たちは心と魂を尽くさなければなりません。


神様が成し遂げて行かれる福音の御業の経営に、私たちを立てて下さり、新しい契約の働き手という大きな栄光の務めを下さった神様に、心から感謝し、これから福音の御業を通して、多くの霊的な利益を残すことができる預言者に皆なられますよう願います。


神様が予定されたその日まで、福音で神様の経営に参加し、キリストと共に苦難を受けるにも喜んで参加する信仰の家族になられて、キリストと共に相続人になられ、共に一つの体になられ、共にとこしえなる天国の約束に必ずあずかるシオンの家族になられるように願います。




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