神様の経営を信じて従う者になりなさい
小羊がどこに導かれようと最後まで従って行く信仰、これがこの地で贖われる十四万四千人だけの特徴です。神様を絶対的に信じ、頼って出て行く私たちの福音の生涯はまことに恵ましく万事がうまく行きます。
マタ28:18─20 『イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」』
いつでも、誰にでも与えることができる天と地のすべての権能をイエス様が持っておられるのです。「すべての権能が私にあるから行きなさい。私の代わりに行って彼らを覚ましなさい」と願われまれた。天と地のすべての権勢を持っておられる神様が、御自ら成し遂げることがおできになるにもかかわらず、敢えて私たちを通して、その経営を成し遂げようとなさる理由は、私たちに信仰を積んで行く機会を下さるためです。
すべての民を弟子にして守るよう教えなさいと言われたので、御言葉どおり聞き従えば良いのです。幻のようなこの世の中で出会う迫害と試練、誘惑を恐れないで下さい。永遠の天の世界が、私たちの真なる現実の世界であることを信じるのなら、何も恐れることはありません。
使徒パウロは早く肉の幕屋を脱いで、主と共にいるのが自分にははるかに大きな喜びですが、未だにこの地で悟り得ない魂たちが多くいるので、彼らのためには自分がこの地にいるのが有益だと言いました。彼はこの地が幻であり、神様と一緖にいる永遠の天国が自分の現実の世界であることをあまりにもよく分かっていたので、早く故郷に帰りたかったのです。しかし悟り得ずに、この罪悪の世で羊飼いを失った羊のように放浪し、さ迷う神様の民を憐れんで、この世を呼び覚まさなければならない見張りとしての使命を果たそうと、その大きな苦難と苦痛の道を歩んだのです。
私たちが実行している福音の御業は、ただ順調に成り立つのではありません。世を目覚めさせて行く過程で、苦難と反対も甚だしく、嘲りと迫害等は当たり前のことであって、私たちの信仰を挫こうと妨害することもたくさんあります。しかし私たちは、私たちがしている福音の御業が神様の代わりに彼らを目覚めさせる御業であることを忘れないで、神様の視覚と立場になってこの世のすべての人々に愛と救いと、平和の福音を伝えなければなりません。
神様は失われた者たちを捜しにこの地に来られて、この世を憐れんで、救いの計画を施して下さいました。キリストの心を抱きなさいと言われたので、私たちも世を憐れむ目を持って、世を呼び覚まさなければなりません。世を憐れむ目と憐れみの心を持つことができるのは、真理の道がそれほど高く昇華されているからです。世よりもっと高い視覚で眺めてこそ、この世を憐れむ心を持つことができますし、その時、初めてまことのキリストの代わりの使者として、福音の御業を恵ましく継ぐことができます。
神様は、神様の代わりに励んでいる私たちを常に助けて下さっています。
イザ41:9─13 『わたしはあなたを固くとらえ/地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕/わたしはあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える…』
神様は、じっとしている私たちを助けられるというのではありません。私たちが福音の仕事をする時、神様の代わりに世の人々を目覚めさせる時、その虚構と虚像から脱して、真理の中に出て来なさいと教える時、私たちが口を開いて神様の御心を伝える時神様が共におられ、助けて下さり神様の経営を成就して行かれるという御言葉です。
私たちに敵対する者たちの結果は、既に聖書に記録されています。草のように倒れる人々を、空しく無くなる肉体を恐れるのでしょうか。何も恐れることはありません。私たちに怒りを示す者たちは辱められ、私たちと争った者たちは滅ぼされると言われたので、神様を信じて実行すれば良いのです。
劣る知識は神様が満たして下さるはずだし、及ばぬ知恵は神様が助けて下さり知恵と聡明さを授けて下さるでしょうし、間違った知識がある場合は、神様が正して下さり、正しい事を伝えられるように道を開けて下さるはずなので、何も心配することはありません。
救いの道は艱難辛苦の道です。覚悟が必要な道です。しかし、難しくて覚悟が必要なるゆえ、神様がいつも助けて下さるのです。
私たちができない、能力外の事が解決された時、私たちは神様の助けの手を感じるようになります。福音の道も私たちの能力外の事です。神様の助けなしには絶対不可能です。ですから、神様御自ら助けて下さるのです。その事実を信じましょう。
世を恐れずに、むしろ私たちを迫害してあざける世に向けて、かわいそうだと思う憐れみの目で世の中を目覚めさせる時こそ、キリストのような福音を伝えることができるという事実を忘れないで下さい。恐れと世の思い煩いはすべて神様に任せて、ただ哀れな魂に天国に行く道を諭させて神様を伝える時、神様は私たちのすべての欠けている点を満たし、過ちを直して福音の経営を全て行い実現させて下さるのです。
イザ14:24 『万軍の主は誓って言われる。「わたしが計ることは必ず成り/わたしが定めることは必ず実現する。』
神様が経営する福音の御業を、間違いなく確実に成されることをもっと強調するために『わたしが計ることは必ず成り/わたしが定めることは必ず実現する』と言われました。
http://japanese.watv.org/
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