0021-09-17

<神様の教会 安商洪様>神様の経営1



天に行く日が、日に日に近づいています。一つの望みをもって神様の御心で、天国の福音のために一生懸命宣教するシオンの兄弟姉妹を見ると、神様の愛の中で新しい被造物に造られていく過程であることを感じます。末世に直面しているこの終わりの時代に預言者の使命にあずかっている私たちは、世の初めから代々隠されてきた秘密であるキリストを悟り、光無き暗黒の世に熱心にキリストと天国の福音を伝えなければなりません。




魂の救いのための神様の経営



私たちは皆天国の存在を信じています。では、天国はなぜ存在するのでしょうか。少し考えて見れば神様の救いを受ける相続者を住まわせるために創造されたことが分かります。


それでは、救われる人々を天国に導かれるまで、神様が行われる福音の経営が必ず存在しなければなりません。経営、「すなわち計画を立て計画にそって仕事を運営すること」なしに、恵ましい結果を生み出すことができないからです。


この世にも、多くの経営者たちがいます。会社を経営する事業家もいれば、学界を経営する学者、また国家を経営して行く大統領もいます。地上の業を計画する経営者たちはその経営が成功するよりも、失敗する例が多いですが、事の始終を皆御存知の全知全能なる神様の経営は、決して失敗することがなく、確かな成功が保障されています。私たちが心を尽くして、魂を尽くして、力を尽くして天国を襲うべき理由がここにあります。


この世の中の不確実で不透明な経営にも自分の一生を掛けている人々が多くいます。しかし彼らが得るのは、宇宙万物を御言葉で創造された神様の経営にあずかる人に保障された祝福に比べれば何でもありません。


神様は天国を建設されて、そこに住む民のために、魂の救いの御業である福音の御業を経営しておられるのです。私たちはそのような神様の経営にあずかって神様の福音を聞いたことのない人たちに一生懸命福音を証ししています。これは私たちの心の中に神様の経営には決して失敗がないという絶対的な信仰があるからです。神様の経営に対する確信を持っているので、難しい条件が与えられたとしても、一生懸命に福音を伝えて、岩の上に信仰の家を堅固に建設することができます。


神様が天国を建設され神様の子を集められる救いの御業を経営されながら、私たちに何を頼まれたのか調べて見ることにします。


エゼ3:17─19 『人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない…悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち帰らなかった場合には、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。』


神様は私たちを見張りとして立てられたと言われました。もし私たちが神様の代わりに、御言葉で世の人々に諭したにもかかわらず、彼らが悔い改めなかったらその罪の責任を私たちに問いはしませんが、知らせずして彼らが滅びの道に溺れたとしたら、その罪の責任を私たちにも問うという意味でなくて何でしょうか。


私たちが神様の経営を確実に信じるなら、この世に恐れるものはありません。「人生は一場の夢」という諺のように、私たちが住んでいる現在のこの世は一場の夢と同じです。とこしえなる霊の世界に比べれば、現世はしばらくの夢に過ぎません。むしろ私たちが迎える永遠の天国が、真の現実であり実相なのです。


夢は虚像です。夢の中で食べ物をたくさん食べたら満腹になったり、水を飲んだら喉の渇きが解消したりするでしょうか。世の中には、虚像と虚構の世に住んでいながらも、これが実相だろうと考える愚かな人々が多いようです。しかし、私たちの本当の現実は、霊の世界です。虚像と虚構に過ぎないこの世を恐れる愚かな人になってはなりません。


私たちは、神様の代わりに天の使者の役目を果たしているのです。この福音の御業が、神様の御業であることを知らなければなりません。必ず成し遂げて下さる聖なる約束であり、絶対に失敗することのない神様の経営です。


失敗は失敗を恐れる者にあるのであって、堂々と立ち向かう人々には決してありません。神様を信じて行うことには、窮屈な弁解や技巧がなくても恵ましい結果を下さいます。


私たちが天国で神様を完全に信じなかったので、明けの明星、曙の子に惑わされて神様の御心に背き、この罪悪の世まで追いやられ、降りて来たのではありませんか。神様は二度と罪を犯すことのない天国を造るために、私たちが完全な信仰を持つよう願っておられるのです。


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