0021-09-02

<神様の教会 安商洪様>"霊"と花嫁

「我々」すなわち神様にかたどり男と女を創造





すべての生命体には、必ず父親がいて母親がいるということが、果たして神様の神性にかたどり創造されたことなのか、創世記1章から答えを調べてみましょう。


創1:26─27 『神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。』


今日、多くの教会は、唯一の父なる神様が人間を創造され、天地万物を全て創造されたと言っています。しかし、神様の黙示で記録された創世記1章を見ると、「私にかたどって私が人を造ろう」となさらずに『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう…』と仰せになりました。『我々』という複数の神様が人類を創造されたという事実が理解できる部分です。


神様が『我々にかたどり』(26節)すなわち『神にかたどって』(27節)御自分をモデルにして、そのまま創造された存在が男と女でした。これはすなわち神様の御姿の中には複数の姿、正確に言うならば、男の姿と女の姿が存在しているという御言葉です。その中で男の姿の神様を、私たちが家族的呼称で父といっています。ですから人々が『天におられるわたしたちの父よ』と祈りながら祝福を願います。


なぜ神様を父と呼ぶのでしょうか。私たちに命と息を下さり、私たちの存在を命ある者として下さった方が神様であられるからです。ですがここで父なる神様のみ、そのようにされたのか調べてみましょう。創造主は『我々』と仰せられた神様だということを、悟らなければなりません。人間がお一人の神様を象ったのでなく、お二人の神様に象って創造されたことを神様にかたどって創造された男と女を通して理解することができます。


神様がすべての生命体を、父がいて母がいるように創造されたのは、見えない神様の神性を、創造された万物の中に顕現されたという御言葉と一致する内容です。創世記1章に『我々』という神様にかたどって、男と女を創造されたと書かれています。その神様の男性の姿を「父なる神様」と呼んでいるから、女性の姿は「母なる神様」と呼ぶのは、ごく当然のことではないでしょうか。




天におられるわたしたちの父、わたしたちの母


神様はすでに自然万物を通して見えない神様の神性、すなわち父としての男性的神性と母としての女性的神性を私たちに証しして下さったのです。聖書はまた神様が私たちの御父様であり、御母様であることを直接証しして下さったのです。


マタ6:9 『だから、こう祈りなさい。天におられるわたしたちの父よ…』


イエス様は神様を父と呼ぶように教えて下さいました。聖書をみると、神様は確かに私たちの霊の父に違いありません。ここで神様を『わたしたちの父』と呼ぶのなら、神様を父と呼ぶ「わたしたち」という存在がなければなりません。イエス様が仰せられた神様を父と呼ぶ「わたしたち」という人たちは救いにあずかる者です。


聖書は、救いにあずかる者たちには必ず父としての神様がおられ、母としての神様もおられるべきであることを証ししています。


ガラ4:26 『他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。』


聖書は全て預言者たちが神様の霊の導きの下に記録した本であって、私たちを救いに導く知恵を与えています(二テモ3:15-16)。マタイによる福音書では父なる神様に対した真理を現して、ガラテヤの信徒への手紙では母なる神様に対する真理を明らかにしています。


従って、救いにあずかる民たちには、必ず父なる神様と母なる神様が存在しなければなりません。父なる神様だけ信じては、決して救いにあずかることができません。


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