苦難と迫害の中でも前に進む福音
ネヘミヤ神殿建築の歴史を見ても、サンバラトとトビヤという人が神様の神殿建築の御業を先頭に立って妨害しました。その城は狐が上っても崩れる城だと皮肉って嘲り、精神的にもユダヤ人たちを大変苦しめたのです。しかし、ユダのすべての民と役人たちが、心を一つにして夜も見張りをし、務める時も片手には槍と盾を持って敵を防ぐ一方、また片手には建築道具を持って神殿建築を続けました(ネヘ4:1-23)。
ついに神殿が完工し、敵対した者たちはそれを見て肝をつぶしました。人間の業だったら、工事の途中で放棄するに違いなかった神殿建築の完工を見て、天の神様が彼らと共におられることが間違いないと驚き恐れたのでした(ネヘ6:15-16)。
迫害と艱難極まる中でも、キリストに対する確固たる信仰を燃やした使徒たち、彼らは今どこにいるでしょうか。とこしえなる天国で、神様の言いつくせない慰めと平安にあずかっているのです。
イエス様は神様だと大胆に主張した使徒パウロ、彼が今いる所はどこでしょうか。世の人々が見ることも想像もできない栄華なる天国でとこしえなる安息を享受しています。しかし、反対にパウロを「ナザレ人の分派の主謀者」と指目し悩ました当時の大祭司や宗教指導者は今どこにいるでしょうか。
預言された霊的な大戦と勝利の約束
今日、多くの人たちが天国に対する望みをもっているなら、物欲的で現世主義的であって聖書どおり実行しないこの世代を見て、真理を探し求めるようになるのが当然のことでしょう。しかし、今そうできない状態であることは、既に初代教会の歴史を通して見ることができます。
多くの家族たち(霊的な神殿の材料)が、福音が伝えられる先々で、"霊"(聖霊)と花嫁の真理の光を見て、悔い改め、キリストを受け入れるので、預言に従って初代教会の時代にあったすべての不合理的な事件が、今日、全部再現される過程にあります。しかし、このような状況でも、聖書を通して神様は天国に行く人たちに慰労と勇気を与えて下さっています。
黙12:17 『竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。』
海の砂、すなわち人類社会に君臨している竜が、女の残りの子孫と戦おうとして彼らの上に立ったとあるので、霊的な戦いは必ず起こることになっています。そして、ヨハネの黙示録18章では、竜を裁く神様は強い方であると記録しています。使徒ヨハネは、この戦いの始終を皆見たのです。結局、敵であるサタンは捕らえられ、火と硫黄の火の池に投げこまれ、この霊的な戦いは終わります。
http://japanese.watv.org/
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