0020-04-03

神様の教会安商洪様<秋收感謝祭 3>하나님의백성은 하나님의 절기를 지킨다. 성경과관련없는 추수감사절!!

「サンクスギビング・デ-」は英語Thanks giving dayの訳語で毎年 11月に大部分のプロテスタントで守る日です。しかし聖書どおり行う神様の教会では「サンクスギビング・デ-」を守らず安商洪様が教えられた聖書の祭りだけを守ります。
韓国プロテスタントの大部分がアメリカ・プロテスタントによって開拓されたので、アメリカプロテスタントの影響をたくさん受けたのは皆が認める事実です。清教徒たちがメイフラワー号に乗ってイギリスから去って新大陸(アメリカ大陸)に到着し、農業をして神様に感謝する祭りを行った事実に起因して、祝祭日として決めた人はアメリカの初代大統領ワシントンでした。とにかく Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)はアメリカの国家的な祝祭日であり、宗教的な祝祭日ではありません。アメリカでは最大の祭り中の一つがサンクスギビング・デ-であり、この時期にアメリカのすべての職場は長期間の休みに入ります。
Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)をアメリカ人たちが祝祭日と決めて楽しく遊ぶことは私たちの関与するところではないと思います。しかしその日がまるで神様が制定された掟のように教えることに対しては問題を申し立てざるを得ません。その上に、この日を神様の掟である初穗祭(新約の復活祭)や仮庵祭から由来されたと教える行いは実に神様に対する冒涜だと言わざるを得ません。神様はThanks giving day(サンクスギビング・デ-)を守りなさいと命じられたことは決してなかったからです。
神様の教会では再臨キリスト安商洪様が守りなさいと命じられた祭り、すなわち聖書に記録された祭りを守っています。



神様の民は神様の祭りを守る。



今まで見たように、旧約の初穗祭や仮庵祭は、新約時代にキリストが成す復活祭と天の神殿材料である 十四万四千人聖徒たちを集めることをあらかじめ見せて下さった

ものです。それなのにアメリカで作られたサンクスギビング・デ-を守りながら旧約時代の初穗祭や仮庵祭を引用するということはクリスチャンとしては到底納得できないことです。


旧約の初穗祭が新約時代に復活祭に変更されてキリストの復活を記念し、同時に最後の日、聖徒たちの復活と変化に対する神様の約束を吟味する日です。そして旧約の仮庵祭が新約時代には、7日間の宣教大会に変更されて救いを得る神殿材料(聖徒)を探す宣教行事になりました。


Thanks giving day(サンクスギビング・デ-)はアメリカの祝祭日ですが、キリスト教の祭りではありません。これは確かに人によって作られた人の掟です。昔イスラエルのヤロブアム王は民がエルサレムに祭りを守りに行くことを阻むために金の子牛を作って「これがあなたを エジプト から 導いたあなたの神である。」と 言ってまた8月15日を祭りとして決めてユダの祭りに似せて守ったが、これが神様に罪を犯したと聖書は記録している。(列上 12:25~33) キリストもこのような者について次のように言われました。


マル 7: 6∼8  『イエスは言われた。「イザヤ は、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう 書いている。「この民は口先ではわたしを 敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ。/むなしくわたしをあがめている。」あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く 守っている。』


初穗祭のまことの意味と成就、そして仮庵祭のまことの意味と成就などを知らないまま無条件アーメン!を唱えて従って行く人々に会う時が一番もどかしいです。彼らにも神様の御恵みが臨んで神様の掟と法を正しく悟るように願うだけです。


聖書に「わが民は知ることを拒んだので沈黙させられる。お前が知識を退けたので/わたしもお前を退けて/もはや、わたしの祭司とはしない。お前が神の律法を忘れたので/わたしもお前の子らを忘れる。」(ホセ4:6)と記録された御言葉も神様の掟は無視して人の戒めに付く人々に賜れた教訓の御言葉です。


ヘブライ人への手紙に記録された「さて、最初の契約にも、礼拜の規定と地上の聖所とがありました。」(ヘブ9:1)この御言葉の裏面には「第二の契約(新しい契約)にも仕える礼法と天に属した聖所がある」と言う意味が内包されています。どちらがもっと重要でしょうか。もちろん新しい契約で神様に仕える礼法が重要だということは皆が認知する事実です。最初の契約の当時に地上の聖所で神様に仕える祭りと儀式は模型だったし、新約時代に天の聖所と繋がれた新しい契約の祭りを守ることが実際になりました。


神様に仕える新しい契約の礼法は神様の民だけが大事にすると信じます。多くの魂が人の戒めに従う行いから脱して神様に仕える新しい契約の礼法の中に帰って来るように祈ります。

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