
我等の神様の教会は神様が御自ら立てられたこの地上の唯一の真の教会であります。(使20:28)私のブログを訪ね下さって感謝を差し上げます。福にあずかるよう願います。神様の教会では 聖霊安商洪様を信 じています。 安商洪様は 神様です。
浸礼と重生(生まれかわり)
(침례와 거듭남)
世の中のすべての人々は罪によって死ぬしかない境遇に置かれています。だから新しく生まれなければ死の泥沼を脱することができません。天国は罪人の身では行くことができない所だから、肉身は死亡の奴隷になり死に至るようになっても浸礼を通じて魂は重ねて生まれて永遠なる天国を迎えるようになります。
ヨハ 3: 3-5 『イエスは答えて言わ
生まれかわる恵みをこうむるためには罪の身が死んでその代価を支払い、新しく生き返らければならないので、この意味を悟らせるためにキリストは血を流されて死に、罪を贖われた後に復活することで生まれかわる理を見せて下さいました。言い替えればキリストが十字架で死を迎えたように罪の身も浸礼で葬式を行って死ななければ、キリストがまた生き返ったように浸礼を通じて罪を洗った人も義になりキリストの恵みによって生まれかわります。
一ペト 3: 21 『この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。』
ロ-マ 6: 3-11 『それともあなたがたは 知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは 洗礼によって キリスト と共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです…わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます…あなたがたも 自分は 罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して 生きているのだと考えなさい。』
浸礼式を通じて水で身を洗う儀式は単純に形式的で次元の低い行為に過ぎないのではなく、罪で汚くなった私たちの魂を新しく生き返らせる神々しい儀式です。
命の書に名前が記録される
(생명책에 이름이 기록되다)
キリストは、水と聖霊で生まれかわらなければ神様の国に入ることができないとおっしゃったが、生まれかわるという意味は二度生まれるという話で肉身で生まれることと聖霊で生まれることを言います(ヨハ 3:1-8 参照)。肉身で出生すれば世の中の戸籍係に出生届を出し聖霊で生まれれば天の命の書に記録されるようになります。それで浸礼を受ける直ちに教会の命の書に名前を記録するようになれば天の命の書にもその名前が記録されるのです。
マタ 16: 19 『わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。』
地の命の書に名前を記録すれば天の命の書にも記録されるというお話です。そして使徒パウロは
一コリ 4: 15 『福音を通し、キリスト・イエス においてわたしがあなたがたをもう けたのです。』
フィリ3: 20 『しかし、わたしたちの本国は天にあります。』
フィリ4: 3 『なお真実の協力者よあなたにもお願いします。 この二人の婦人を支えてあげてください。 二人は、命の書に名を記されている クレメンス や他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。』
キリストは
ルカ10: 20 『しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。 むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』と言われました。
詩 69: 28-29 『彼らの悪には悪をもって報い/恵みの御業に/彼らを決してあずからせないでください。命の書から彼らを抹殺してください。あなたに従う人々に並べて/そこに書き 記さないでください。』
私たちがいくら神様を信じていると言っても、自分の名前が天の命の書に記録されなければ天国に入って行くことができません。
黙 20: 15 『その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。』
黙 21: 27 『汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。』
イザヤ4: 3-4 『そして シオンの残りの 者、エルサレム の残された 者は、聖なる者と呼ばれる。彼らはすべて、エルサレム で命を得る者とし 書き記されている。主は必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる。』
ダニ12: 1 『その 時、大天使長 ミカエルが 立つ。彼はお前の民の子らを守護する。 その時まで、苦難が続く/国が 始まって以来、かつてなかったほどの 苦難が。しかし、その時には 救われるであろう/お前の民、あの書に記された人々は』
しかし詩編の記者ダビデは
詩 69: 28-29 『彼らの悪には悪をもって報い/恵みの御業に/彼らを決してあずからせないでください。命の書から彼らを抹殺してください。 あなたに従う人々に並べて/そこに書き記さないでください』
命の書に名前が記録されたと言っても許してもらえない罪を犯した時は命の書から除名されることがあります。
黙 3: 5-6 『勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。』と言われました。
私たちが浸礼を受ける目的は私たちの罪を赦され、復活したキリストと一緒に新しい命の復活を受けて私たちの名前が天の命の書に記録されるようにするためです。浸礼を受けなくては過越祭を守ることができず、過越祭を守らなくては命の書に名前が記録されることができません。過越祭を守れば災いも免れ永遠なる天国に入ることができます。
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