0020-03-30

神様の教会安商洪様<十字架2>십자가2

神様の教会は再臨キリスト安商洪様の教えに従って、教会建物の屋根や内部に十字架を立てません。 十字架は偶像だから神様を信じる民なら、当然立てても仕えてもいけない形だからです。今日大多数の教会でキリストに対する象徴として使われている十字架は、キリストの受難以後に初めてできた信仰的象徴物ではなく、異邦宗教から使われて来た崇拝の対象物でした。十字架は当時一つの死刑の道具に過ぎず、使徒たちの思想の中にも十字架を建てなければならないとか十字架を崇拝しなければならないという思想が存在したことはありません。初代教会が持った真理の中で十字架がキリスト教の象徴だとか悪神を追い出すお守りの役目をするという教えも存在したことはありません。初代教会の聖徒や使徒は偶像崇拝者は神様の国に入ることができないとたびたび強調しました。どんな形象でも立ててはならないという神様の御旨に従い十字架を立てないのが正しいか、慣習によって人の考えで立てるのが正しいか自問して見てください。


十字架使用に対する聖書の見解



キリストの十字架事件以後に十字架が教会で大っぴらに使われることが律法書に既に預言されています。モ-セの指導の下に荒野生活をしたイスラエルの民はエドムの地を通らず迂回してより遠い砂漠の道に行くようになると不平と恨みでモ-セを非難しました。ここに神様の怒りがイスラエルに臨んで砂漠の炎の蛇がイスラエルの民をかんで殺す災いが臨んだが、この時蛇にかまれた者等をいかすために青銅の蛇を作って竿の上にぶら下げた歴史がありました。


民 21: 8-9  『主はモ-セに言われた。「あなたは 炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ 。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」モ-セは青銅で 一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の 蛇を仰ぐと、命を得た。』


しかし青銅の蛇はイスラエルを救う何の力もありませんでした。ただ「青銅の蛇を見上げれば命を得る。」と言われた神様の御恵みで生き返るようになったのですが、イスラエルの民はモ-セの作った青銅の蛇が救ったという誤った信仰に落ち入りヒゼキヤ王 時代まで青銅の蛇に香をたいて来た歴史がありました。


王下 18: 4 『聖なる高台を取り除き、石柱を 打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モ-セの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。』

(※ネフシュタン: 青銅の切れという意味)


モ-セの時代、炎の蛇にかまれて死んで行ったイスラエルの民が竿の上の青銅の蛇 を眺めることで生き返った歴史は、サタンのわなに落ち入り死んで行った魂が十字架の上で血を流されたキリストを眺めることで(犠牲の血を負って)生き返るようになることを知らせる写しでした。


ヨハ 3: 14-15 『モ-セが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。』


青銅の蛇 そのものに救いの力や命の力がなかったようにイエス•キリストが担われた十字架は命を与える何の道具にもならず、 ただキリストの宝血の功労で生き返ると言われた神様の御言葉によって救いに至るようになるということを悟らせています。


ですからイスラエルの民が荒れ野で作った青銅の蛇をその後約1000年間も香をたいた忌まわしい行いは、新約時代にキリストの血の功労、すなわち過越祭の権能は忘れて処刑道具だった十字架を作って立てて崇拝する忌まわしい行いの影でした。神様は神霊な存在なので何か形を作って神様に関する敬意を表してしてはいけません。ただ神霊な新しい契約の法だけが神様を敬うことができる方法であり、救いの御恵みを表す象徴です。


申 27:15 『職人の手の業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者は呪われる。」それに答えて、民は皆、 「ア -メン」と 言わねばならない。』


エレ 10: 3-5  『もろもろの民が恐れるものは空しいもの/森から切り出された木片/木工がのみを振るって造ったもの。金銀で飾られ/留め金をもって 固定され、身動きもしない。きゅうり畑のかかしのようで、口も利けず/步けないので、運ばれて行く。そのようなものを 恐れるな。彼らは災いをくだすことも/幸いをもたらすこともできない。』


十字架は 森から切り出されて木工がのみを振るって造ったものであり、それは私たちを決して救うことができない偶像だということを知らなければなりません。

2 件のコメント:

♥Spirit-Bride♥ さんのコメント...

The Bible boasts of Christ, who was sacrificed on the cross, shedding His blood for our sins.
Thanks to Father Ahnsahnghong!

NaNa さんのコメント...

アーメン!!
十字架を止めることは偶像崇拜行為です
エロヒム神様だけ仕えます