0020-03-20

神様の教会安商洪様<浸礼 2>침례2神様の教会

人は誰もがこの地に生まれて一度は死ぬものと決まっています。どうして永遠に生きることができずに限りある人生を歩いて死の奴隷にならなければならないでしょうか。聖書はこのような現象が罪によって発生した結果だと知らせています。罪を担っては命の道を歩いて行くことができないのが私たち人間です。永生を得るためには犯した罪が消えなければならないので罪を洗い出すことができる神様の恩恵、すなわち浸礼の制度を通じて救いの初めの歩みをするようになさったのです。したがって、神様の教会では再臨安商洪様教えによって浸礼を行っています。我等の神様の教会は神様が御自ら立てられたこの地上の唯一の真の教会であります。(使20:28) 神様の教会では安商洪様を信じています。神様の教会では天の母を信じています。


浸礼式の時期



浸礼は罪の赦しを得て、神様の恵みに進む初めの歩みで、人生に比喩するとお腹の中から赤んぼうが出生する時期と同じく説明することができます。人の肉身も成長する過程がお母さんの腹の中で生まれて一つずつ一つずつ世の中の理を学んで成長した大人になるように、魂も浸礼式を通じて罪と咎を脱いで神様の子として新しい命を得て神様の摂理と天の理を習得するようになるのです。


エフェ 1: 7-9  『わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。… 』 


罪の赦しを得ることができないうちは神様を悟る知恵が与えられないので、神様を知ってから浸礼を受けなければならないと主張するのは神様が立てた手順にさからうことだから、神様を信じようとする心がある時先に浸礼を受けてその後信仰生活を通じて神様に似るようになることが正しい手順です。


聖書にはキリストを悟ったら直ちに浸礼を受けて、神様の義に参加するようになった多くの例話が記録されています。


エチオピア の 女王 カンダケ の高官がフィリポ によって聖書に記録されたキリストを証され、道端で直ちに浸礼を受けたこともあり (使8:27-38)「リディア」という紫布を商う女性は使徒たちから宣教され即時家族とともに浸礼を受けました(使16:13-15) 。これだけではなくパウロとシラスの獄門を守った看守もイエス・キリストを悟った直ちにその夜に家族とともに皆浸礼を受けてキリストを信じ始めました。(使 16: 25-33節)。


これに見ると浸礼は神様を信じるための信仰の初出発であり、霊的赤んぼうとして生まれたことを意味します。また、浸礼はこれから過ぎた日を悔い改めて神様の御心のままに生きたら審判の時に憶えてくださるという神様との約束です。


万一、信仰の完成段階に入って浸礼を受けなければならないと主張して「6ヶ月後や 1年後に学習洗礼を受けなさい」という所があるとしましょう。神様との約束を受けることができなかったまま学習する間事故で死んで審判台に行くようになった魂は誰に哀訴をすればいいでしょうか。



浸礼と重生(生まれかわり)



世の中のすべての人々は罪によって死ぬしかない境遇に置かれています。だから新しく生まれなければ死の泥沼を脱することができません。天国は罪人の身では行くことができない所だから、肉身は死亡の奴隷になり死に至るようになっても浸礼を通じて魂は重ねて生まれて永遠なる天国を迎えるようになります。


ヨハ 3: 3-5 『イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。』


生まれかわる恵みをこうむるためには罪の身が死んでその代価を支払い、新しく生き返らければならないので、この意味を悟らせるためにキリストは血を流されて死に、罪を贖われた後に復活することで生まれかわる理を見せて下さいました。言い替えればキリストが十字架で死を迎えたように罪の身も浸礼で葬式を行って死ななければ、キリストがまた生き返ったように浸礼を通じて罪を洗った人も義になりキリストの恵みによって生まれかわります。


一ペト 3: 21 『この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。』


ロ-マ 6: 3-11  『それともあなたがたは 知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは 洗礼によって キリスト と共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです…わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます…あなたがたも 自分は 罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して 生きているのだと考えなさい。』


浸礼式を通じて水で身を洗う儀式は単純に形式的で次元の低い行為に過ぎないのではなく、罪で汚くなった私たちの魂を新しく生き返らせる神々しい儀式です。



我等の神様の教会は神様が御自ら立てられたこの地上の唯一の真の教会であります。(使20:28) 神様の教会では安商洪様を信じています。神様の教会では天の母を信じています。

2 件のコメント:

♥Spirit-Bride♥ さんのコメント...

we should be baptized first. After, we are given the opportunity to participate in God's divine nature through our life of faith.

NaNa さんのコメント...

ア―メン ^^
spirit-bride様良い一日!!!